(2)災害ボランティア入門(その2)4月中旬はまだ新幹線が復旧していなかったので、東京から仙台まで高速深夜バスを利用した。途中休憩もあり、熟睡はできない。パーキングエリアで外に出ると寒い。それでも「現地の避難所に比べればかなりましだろう」と思った。早朝の仙台駅では、運良く牛丼やさんが開いていた。「いつから?」「つい昨日からです」。コンビニは品不足だが、商品がないわけではない。贅沢しなければある。東京から2〜3日分の食料は持って行ったが、もう仙台市内で買う方が現地支援になりそうだった。 最初のボランティアは亘理(わたり)町。県外ボランティアを積極的に受け入れていること、知り合いの知り合いが住んでいたところ、がその理由。安否は未だに不明。二日目は岩沼市に行った。こちらも数少ない県外組歓迎の場所。 どちらのVCも素晴らしい運営で、特に亘理町VCは受付が広々としていて、大勢のボランティアをスタッフがテキパキこなしていた。若い人からおばちゃんまでいろいろなパワーを感じた。 岩沼市VCはこじんまりアットホームな感じがいい。若いスタッフが明るく一生懸命がんばっていた。午前、午後で活動を分けている点は、初心者や女性にもお勧め。一日通しで活動したい人には二度手間だが、私は気に入っている。 初めての人は「あまり無理せずに動くこと」である。コツコツでも、大人数でやれば結構捗る。「途中でちゃんと休むこと」も大切。これは、ボランティア・リーダーの役目でもある。「水分補給の前には、必ずうがいすること」は忘れやすい。被災地の泥や粉じんは都会で思う以上に汚れている。手洗いも同様。 活動先についてはあまり書けないが、そもそも「災害ボランティア」の受け入れに慣れている人などいない。一生に1回あるかどうか。ボランティアは自衛官や消防士のような働きはできなくても、活動先では心から感謝されることが多い。ただ、中には横柄な家人もいる。ボランティアもよかれと思って勝手な行動をする人もいる。これらが重なると問題が起きる。 宮城県内では、「自分たちも楽じゃないけど、福島の人はもっと大変だ」という言い方をずいぶん聞いた。今まで「東北人」ということを意識したことがなかったが、私の世代だと「寒さ」と「貧乏」とそこから来る「我慢」が確かに共通項のように思えた。 被災地では、全国各地から老若男女ボランティアが来てくれること、様々な物資を送られてくることに心から感謝する人が大勢いた。土地柄か「支援されて当たり前」とは考えない。全国から勇気づけられ、率先して明るくボランティア・リーダーを務める地元の若者もいた。彼らに希望を見る思いがした。 滞在の合間に、入れる範囲で、被害地域を少し回った。実際に津波の跡を見渡すとただただ呆然とする。テレビの映像とは違う。悲しい音楽はない。名優のナレーションもない。効果的なアングルもない。まさに何もない。立っていると、余所者の自分でさえ、希望ごと流されてしまった感じになる。「学者センセイやエライ技術者は、都会で四の五の言ってる場合じゃないだろ」と感じた。 東京では、福島原発のことを「自分たちの夏のエアコンのためい」心配する向きがなかったとは言えない。ケータイ、ゲーム機、通勤電車もしかり。「計画停電?東京電力、早く何とかしろよ」という都会人は少なからずいる。ただ、そういう生活の中で育った世代を頭ごなしに非難しても仕方ない。「とりあえず、東北人は来週もボランティアに来るか」と現地で思った。 (2011/06/17記)
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